1941年12月8日の真珠湾攻撃に伴い、新聞やラジオから天気予報が消えた。気象情報は航空機の運航にかかわるため、軍事機密として制限されたのだ。
九州、中国地方を周防灘(すおうなだ)台風が襲ったのは、翌42年8月27~28日だった。台風の最接近が真夜中で、満潮時と重なったことから、周防灘沿岸では高潮が発生した。死者・行方不明者は1158人に上った。天気予報が規制されていたため、住民の多くが台風の接近を直前まで知らず、対策が遅れたことで被害が拡大したとされる。
制限が解除されたのは敗戦後の45年8月22日だった。翌日付の毎日新聞は「天気予報/4年ぶりで復活」との見出しを掲げた。「主婦の買い物に、お洗濯などの予定にまでいつも良い相談相手になってきた天気予報がこれからはラジオや新聞でどんどん報道される」と喜びを持って報じている。【川崎桂吾】
August 10, 2023 at 10:40PM
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天気予報が軍事機密? 真珠湾攻撃で制限、台風の犠牲者拡大も - 毎日新聞
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